共有認識するために
ここでは皆さんと共有認識するために、以下の項目をチェックしています。
考え方の『前提』に違いはないか
言葉の『定義』に違いはないか
『知識量』の違いはどれくらいか
『体験量』の違いはどれくらいか
『前提』と『定義』が異なっている場合
根本的な解釈にズレが生じるため、その後の話が無意味となりますので、いったんこの大前提を受け入れていただきます。
『知識』と『体験』の量について
様々なカリキュラムを実践して積み重ねていただきます。
1:考え方の『前提』
その1「目の前で起こるすべての現象は100%自分で創り出している」
その2「創り出す現象の発生源は自己の無意識が起こしているので、気づけない」
その3「創り出された現象からのみ、無意識の要素を知ることが出来る」
その4「その現象は自己のメリットのために創り出されている」
その5「メリットはデメリットと相対関係にあり、同時に存在し絶対に切り離せない」
その6「問題とされるデメリットを消去するにはメリットも同時に手放す必要がある」
その7「メリットは単なる錯覚現象なので、無抵抗の観察でデメリットと同時に消滅する」
2:言葉の『定義』
「事実」と「真実」は違う
「事実」とは「客観的な事柄」【fact】
「真実」とは「主観的な事柄」【truth】
「事実」とは、だれが見てもわかる客観的な事柄を示し、実際に起こった現実に存在している事柄を指す。
事故が起こった。テーブルの上にリンゴがある。など、事実は【ひとつ】である。
「真実」とは、起こった出来事や存在する事柄に対しての偽りないその人にとっての解釈のことを指す。
事故が起こってひどい目に遭った、テーブルの上に美味しそうなリンゴがある。など、解釈はヒトの数だけある。
「ひどい目に遭った」「美味しそうな」は、あくまでも主観的なものであり、真実は【複数】となる。
「錯覚」
錯覚とは、感覚器に異常がないにもかかわらず、実際とは異なる知覚を得てしまう現象のことである。
対象物に対して誤った感覚や認識を得るのが錯覚であり、存在しない対象物を存在すると見なしてしまう幻覚とは区別される。
なぜ、錯覚がおこるのか?
人間がモノゴトを認識するとき、五感を通して必ず何かを「起点(停止位置)」にして判断している。
この基準とする「起点」によって認識が変わる。
錯覚の例(その1)
朝、太陽が東から昇ってくる様(さま)を見たとき、あたかも太陽が動いているように見える。
これは「地球が止まっている」を起点にしている。
事実:恒星である太陽は動かず、動いているように見えるのは、地球が自転公転しているから。
錯覚の例(その2)
地球に存在している人間は地上と同化(一緒に動いている)しているので、動いていることに気づけない。
地球の自転速度は、時速約1700km(赤道地点) 公転速度は、時速約108000kmだが、実際に速度は感じない。
「スピード」を感じるのは、主に『視覚』からの情報や『触覚からの体感』なので、新幹線や飛行機に乗っていても加速度がかかっていない限り、外の景色を見たり、風に当たるまではスピードは感じられない。起点を内側か外側か、どこに定めるかで認識が異なる。
このように、私たちはどこを「起点」にするかで認識が大きく変わるので、見たまま感じたままでモノゴトを判断すると、誤解から間違った解釈で進んでいくことになる。
解釈の「起点」がニンゲンの持つ『固定観念』である。各自の観念が異なるかぎり、錯覚のなかで会話(自己会話を含む)することになる。
この錯覚、誤解が多くの滞りの因となるので、いったん現象をありのまま受け取るトレーニングが必要となる。
「問題」の定義
主観ではなく客観性から判断。
誰から見てもモノゴトが滞っている状態、不自然な状態を「問題」という。問題とは「お題=テーマを問う」ということ。問題が生じたら立ち止まってテーマを分析することで一歩前進し、それはまるで宝探しゲームとなる。
「偶然」「突然」「奇跡」とは
モノゴトの道理がわからないとき使われる便利な言葉であり、「無知」の同義語ともいえる。 偶然は必然であり、突然は前兆があり、奇跡は当然の結果に過ぎない。
「善」と「正」は異なる
モノゴトの正しさが、必ずしも常に善とはならない。
時と場合と人により、正しさが悪になることがあり、固定された善は存在しない。
「善」とはBest、その環境において、その瞬間、誰にとってもよろしき状態を指す。
そうではない状態を「悪」2nd bestと定義する
「レジェンド」とは
なんらかの出来事が起こった際、とっさに取る「行為」の源は、自動思考による「思い込み」が引き起こす。ここではそれを「レジェンド」と呼ぶ。
一般的に「レジェンド」とは、伝説、神話、物語のことで人びとに「語り継がれる話」という意味。
どちらかというと「輝かしい」「貴重な」「言い伝え」というニュアンスがあるが、この信じ込んだ「考え」が、ときとして「呪縛」となる。
そんな「不都合な伝説」に気づかず採用しているということは、泥棒と一緒に暮らすようなもので「破壊と再生」プログラムが動き続けることになる。
これを回避するには、どんな「不都合な神話」を頭に棲まわせているか、自動思考の「棚卸し」が必要となる。
ただしこれが、紳士の「仮面」を被って澄ましているゆえ「カンタン」には見抜けない。
そこで泥棒には「職質(自己会話)」がイチバン。すぐボロ(感情)を出すのでそこを糸口に解体していく。
「不都合な出来事」をエサに、自動「思考」が瞬時にハタラキ「感情」が引っ張り出され、「痛み」を避けるための「行為」が選択される、という流れ。
この「出来事」→「思考」→「感情」→「行為」を丁寧に切り分けていくと、「自動思考(レジェンド)」が透けて視えてくる。